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「戦争」=「平和」?――外国との比較で複眼的な視点を

【施設の名称が対照的】

本日は74回目の終戦記念日。

それにちなんで、日本語に大変造詣が深い、
カナダ出身の和文英訳翻訳家、イアン・アーシー氏著
『怪しい日本語研究室』の一節をご紹介したいと思います。

アーシー氏の母国カナダでは、ほぼどの都会へ行っても、
第一次・第二次世界大戦の戦没者を悼む「戦争記念碑」が建っているそうです。
シンガポールに旅行した際に立ち寄ったところも、
日本の占領下で犠牲になった市民を追悼する
「ウォー・メモリアル・パーク」=「戦争記念公園」。

翻って日本では、この種の施設は必ずと言ってもいいほど、
「平和」という言葉を冠していると指摘します。
代表的な広島の「平和記念公園」、長崎の「平和祈念像」もそうですね。

アーシー氏は言います。
――「戦争記念」なんて戦後日本の感覚からすると物騒な言い方だから
「平和記念」や同音の「平和祈念」に落ち着いたのだろう。
だが事実、例えば広島の「平和記念公園」は決して「平和」を記念するのではない。
「戦争」という愚行の悲惨さを記念するのだ。
「平和教育」も、本当は戦争のことを若い世代に教えるのを目指す」――

私個人としては、「平和」という言葉に込めた日本人の思いを、
もう少し汲んでほしいという感じもなくはありませんが、
それでも、外国では「戦争〇〇」が日本では「平和〇〇」というのは、
言われてはじめて意識したことで、結構胸に刺さりました。

平和記念公園

【独善的にならないために】

日本語では、特定の状況で避けるほうが望ましい言葉、
いわゆる忌み言葉があります。

結婚式では「切る」「去る」「冷める」「帰る」……
受験では「滑る」「落ちる」「転ぶ」「つまずく」……

今時はこうしたことを気にする方は少ないかもしれませんが、
忌み言葉は、日本人らしい気配りと言いますか、
生活の知恵といった面もあると思います。

一方で、例えば自衛隊の「戦力・武力」を「実力」と言いかえることなどは、
名分はあるとはいえ、本質から逸れる気もします。
まあ、これも忌み言葉なのかどうかは、定かではありませんけど。

そう言えば、冒頭で述べた「終戦記念日」。
「戦争が終わったのではなく、実際は戦争に負けたのだから、
敗戦記念日と言うべき。敗戦を受けいれ、そこから学ばないと、
犠牲になった方々に申し訳ない」というような声もありますね。

さて、外国では「戦争記念」、日本では「平和記念」「平和祈念」。
どちらが正しいとかいう問題ではないでしょうけれども、
みなさんはどうお考えになるでしょうか。

ひとつ言えるのは、物事にはいろいろな見方があるということ。
それをわかってないと、自己中心的とか、ひとりよがりとか、
わがままとか、利己的とか、自分勝手とか、思いやりがないとか、
何も知らないとか、あおくさいとか……とにかくもう、
ありがたくないレッテルをバシッと貼られてしまう可能性大です。

いろいろな見方、複眼的な視点を養うには、
さまざまな本を読むことが効果的ですが、
やはり実際に外国で暮らしてみるのが、
頭だけでなく体でも感得できる有力な方法です。
外国を通して日本を相対的に見ることができ、
それが双方の文化のより深い理解につながります。

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