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震災で忘れていけないひとつだけのこと

【いちばん大変なのはやっぱり現場】

先日公開された映画『Fukushima 50』を見ました。

東日本大震災で起きた福島第一原子力発電所事故のときに、
事故後も発電所にとどまって対応し続けた、
約50名の人たちを描いた映画です。
その人たちを海外メディアは「Fukushima 50」と称しました。

映画の冒頭で「事実にもとづいた物語」とあったように、
多少の脚色はあるんでしょうけど、
「こんなだったんだろうな……」と、
あらゆるシーンが胸に迫ってきました。

未曾有の状況の中、事故現場、東電、政府、
それぞれがそれぞれの立場で懸命なんです。

しかし、やっぱり、
いちばん戦っているのは現場であり、
いちばん傷つくのも現場であって、
光を見出せるとしたら、それも現場……
なんてことを考えさせられました。

「事件は会議室で起きてるんじゃない!」
というあの名セリフじゃありませんが、
先が見えない新型コロナウイルス禍や、
さらには大学入試改革を巡る一連の騒動なんかも、
構図は同じ、と言ったら言い過ぎでしょうか。

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【英語になった “tsunami” の用法に苦言】

外来語とは逆に、英語になった日本語は、
sukiyaki(すき焼き)、karaoke(カラオケ)、manga(マンガ)、
haiku(俳句)、kaizen(改善)等々たくさんあります。

9年前の東日本大震災において世界中で報じられた、
tsunami(津波)もそのひとつです。

マーク・ピーターセン金沢星稜大学教授(明治大学名誉教授)
『英語のこころ』(2018年刊)によれば、
tsunamiが英語圏で一般的に知られるようになった悲劇的なきっかけは、
2004年末のスマトラ島沖地震による津波報道でした。
そのとき初めて、英語圏のメディアがみんな統一して、
tsunamiだけを使うようになったそうです。

そして近年英語圏では、気取って“a tsunami of emotion”などと、
言ったり書いたりする人がしばしば現れています。

アメリカ中西部の主要新聞Chicago Tribuneも例にもれず、
アメリカの財政難についての記事の見出しは、
「National debt:A tsunami of red ink」(国家負債:赤字の津波)

ピーターセン先生は、tsunamiだけは比喩的表現として
使うのをやめてほしいと思っているそうです。

たくさんの被害者の存在に思いを致せば、
何かが一気に押し寄せる比喩に軽々しく使われたくないのは、
私も同じ気持ちです。

ただ、一度英語に定着してしまうと、
どのように使われるかはわからないのが現実。
これは、ネイティブには通じない和製英語と同じことですね。


【震災で忘れてはいけないことはひとつだけ】

9年目の3.11にあたり、どうしてもご紹介したい、
“現場”の話があります。

先月刊行された、藤村忠寿『笑ってる場合かヒゲ
水曜どうでしょう的思考2』で知りました。

藤村さんは、私も大好きな伝説的ローカル番組
『水曜どうでしょう』のチーフディレクターで、
役者としても活躍している、異色のテレビマンです。

東日本大震災の翌年から宮城県女川町(おながわちょう)で開催されている
「女川町復幸祭」(藤村さんも参加しています)には、
『復幸男』というイベントがあります。

参拝一番乗りを競う兵庫県・西宮神社の有名な「福男選び」のように、
海岸付近に集まった参加者が、「逃げろー!」の掛け声とともに
高台を目指して駆け上がり、一番乗りには『復幸男』の称号が贈られます。

本家からも承諾は得ているそうですが、
不謹慎と思われる方もいらっしゃるかもしれませんね。
でも、これこそが祭りの中で大事な意味を持つイベントなんです。

3.11になれば、全国こぞって「あの日を忘れない」と、
震災を振り返り、悲しみを共有しようとします。

けれども、女川の人たちは、「もう悲しみは忘れたいんだ」
「それよりも町の将来を考えないと」と言います。

――自分たちにとって、もはや震災で忘れてはいけないことはひとつだけ。
それは、どんな小さな津波でも一目散に高台に逃げること。
それだけを子供たちにずっと言い続けなければいけない。
だから『復幸男』は千年続く伝統行事にしたい――
そんな思いが込められているのです。

――東北に思いを寄せてくれるのはありがたいが、
これからは一緒に悲しむより、むしろ自分たちの備えを考えてほしい。
これは皆さんにも起こり得ることなんです――

壊滅状態から立ち上がった女川町は、
「復興のお手本」ではなく「まちづくりのお手本」として
全国の自治体が視察に訪れるそうです。

そんな町を見てきた藤村さんが送るエールです。

――誰も想像できなかったスピードで復興を進める女川は、
いつかきっと、思いもよらなかった問題に直面する危険性があります。
そうなれば「ほらやっぱり急ぎすぎたんだよ」と
批判めいたことを言う人が出てくるでしょう。

でも、そこで女川はへこたれてはいけない。
震災直後のようにたくましく、すぐに立ち上がってまた
前へ進まなければいけない。
それが女川という町に住む彼らに与えられた使命であり、
大げさに言えば、世界中の人々に、どんな災害に見舞われようと、
それに立ち向かう人間の強さを示す使命を、
彼らは背負ったのだと思ったんです――

女川の人たちも、藤村さんも、
カッコいいやん、と思った私でした。

※今年の『復幸男』は3/15(日)に行われる予定でしたが、
新型コロナウイルスの影響で延期(開催日未定)になっています。
コロナには泣かされっぱなしです。。。

 

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