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「四技能」に惑わされるな!?

2020年10月21日

【読解軽視の危うさ】

こないだ大阪から従妹が、父親と娘を連れて来福しました。
糖尿病の合併症で入院していた父親(私からしたら叔父)が退院したのを機に、
前から気にしていたお墓参りにやってきました。
こちらに親族のお墓があるのです。

従妹の娘は、今年高校生になり、
気軽に話しかけていいものかとも思いましたが(^^ゞ、
この際聞いてみたいと思って、「英語の授業は英語でやってるの?」と尋ねました。
すると、一部で英語は使うけど、日本語でやっているとのこと。
英語の授業は英語でやることになっているはずだけど、
学校によって違うのかなと思っていたところ、
今月刊行された鳥飼玖美子+斎藤兆史『迷える英語好きたちへ』という本に、
以下のような記述がありました。

共著者の斎藤先生(東京大学大学院教育学研究科教授)は、
大学で学部学生向けの「英語教授法・学習法概論」という授業を持っていて、
毎年そこで学生に、小学校から大学までの英語学習の履歴を聞いているそうです。
彼らの世代は、すでに高校の先生方が「英語で授業をしなさい」と言われてきた世代。
ところが高校の授業を英語で受けていたなどという学生はほとんどいません。
斎藤先生に言わせれば、学校の現場は賢いから、先生方は、
そんなことやったって英語力が身につくはずがないとわかっている、とのこと。

上掲の『迷える英語好きたちへ』は、長年英語教育に携わってきた2人の専門家が、
「大学(英語)入試改革」や「小学校英語」をズバズバと斬って、
「そうなのかあ」と考えさせられることが多い本です。
逆に、そんなに斬られるようなことを
学校の現場ではやっている(やらされている)のかと、
少なからず衝撃も受けました。

中でも、私自身ドキッとさせられた斎藤先生の指摘を1つご紹介します。

…………
英語教育における「四技能」という理念自体はいいと思っている人の多くは、
次の3つの命題を混同している場合が多いと思われる。

(1)英語の四技能がバランスよく使えるようになるのはいいことだ。
(2)英語の四技能をバランスよく教えるのはいいことだ。
(3)英語の四技能をバランスよく測るのはいいことだ。

この3つの命題は全く意味が違う。
賛同する度合いから言えば、(1)が最も高く(3)が最も低い。
(1)にしても100%賛同ではない。
なぜなら四技能には考える力は含まれていないから。
英語学習の目標を英語による対人的なコミュニケーションと狭く捉えているから、
四技能のように目に見える言語活動の表れだけに目を奪われる。

(2)四技能をバランスよく教えてもいいが、うまくはいかない。
外国語学習には外国語学習の手順がある。
少なくとも日本語話者が日本にいて印欧語族の言語を学ぶ場合、
学習言語の運用のあり方(文法)を整理した文典をまず勉強し、
それを読解学習で確認していくのが有効であるというのが先人の知恵。
もちろん良質な音声教材を組み合わせることも大事だが、
それでも文典(文法)から読解教材への学習の流れは王道と言っていい。

(3)入試で測定したいのは、大学の学問研究で必要になる英語を
理解・運用する基礎がどのくらいまでできているか。
必ずしも英語で小器用に道案内などできなくてもいいから、
学術的な英語運用ができるようになってくれればいい。
その運用能力を測るには、別の尺度が必要。
…………

そして斎藤先生は、英語教育の“お題目”に惑わされないことが大事と諭します。
――英語は、日本人にとって習得するのがとても難しい言語です。
そのため、自分の学習の進度に不満を持ち、
日本における英語教育のやり方が間違っていると
思っている人が少なくありません。
そのため、いままではこれをやっていたから駄目だった、
これからはこういうやり方にしよう、という主張が出てくると、
すぐにそれに飛びついてしまうのです。
そのような主張を強めるために、いくつかのお題目が唱えられてきました。
代表的なものは、「コミュニケーション」「グローバル」、
そして「四技能」です。

こういうお題目を唱えて、高度な英語力を身につけた人を私は知りません。
英語ができるようになりたいなら、地道に英語を勉強し、
まずはその基礎をしっかりと固めることです。
その上に高度な英語力を身につけさえすれば、
具体的な技能にこだわることなく
英語を運用することができるようになります。――

どうやら、「読み書きばかりやっているから、ろくに英語を話せない」のではなく、
「読み書きもろくにやってないから、英語を話せない」ということのようです。
確かに、読めない言葉を話すことはできないように、
英語を話す能力だけ独立して習得できるというのはあり得ませんね。

私も、留学や語学研修を勧める立場から
「話す力」の大切さを強調していますが、
その気持ちは少しも変わらないにしても、
偏り過ぎないようにしないといけないと
再認識いたしました。