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新型コロナ バッシング当事者たちの今

【再出発を支えたのは“地元の信頼”】

昨晩(6/11)放送された『クローズアップ現代+』は、
新型コロナウイルス感染に対し数々のバッシングを受けた
個人や団体のその後を、4事例ほど取り上げていました。
傷を負ったままの人もいれば、再起に向け立ち上った団体もありました。

熊本県玉名市の介護施設「樹心台」では、3月、職員1人の感染が判明しました。
その際のバッシングや不当な扱いは、他の職員だけでなく、その家族や、
出入り業者などにまで及びました。
職員の家族が職場で無期限の出勤停止を受けたほか、子どもの保育園登園拒否や、
介護施設の利用中止など、被害は70件以上にのぼったそうです。

バッシングが広がる中、「樹心台」が取り組んだのは、地道な信頼回復活動でした。
施設周辺のコンビニや整骨院、商店など30カ所以上を直接訪問し、
関係者全員の検査を実施したことや、感染対策について説明し、理解を求めました。
その後、施設の対応を知った住民などから、「地域に欠かせない存在だ」
といったエールが届くようになったそうです。

地元企業から手縫いマスク60枚を寄付されたこともありました。
地域の子どもたちからの応援メッセージも同封されていました。
地元企業の社長は、「相手を思いやる心でなんとか乗り切るしかない」と。

バッシングも収まり、感染対策をしてサービスを再開。
「樹心台」の中尾清志事務長は、「利用者さんの笑顔が一番。
いろんなことを言われたが、真正面から対応することが
施設の信頼を増すことになる」と述べています。

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【一方で、立ちはだかる無理解】

場所の選定や近隣への説明などに1カ月以上かけ、
ようやく4月下旬開設した東京のPCR検査場。
しかし、予定の半分ほどしか稼働できていません。

一つの理由は、日々寄せられる近隣からの声にありました。
「受検者とすれ違うだけでも感染するのでは?」
「医療者は、検査終了後シャワーを浴びないのか?」といった、
検査場が感染リスクを生むのではないかという指摘を受け続け、
必要以上の範囲を消毒するなど過剰な対応が支障になっているそうです。

近隣住民の不安や反発が解消されず、
PCR検査場の設置すらできていない医師会も4つあるとのこと(6/5時点)。

とある医師会の会長のコメントです。
「医学的に感染リスクをほぼゼロ近くまで排除し、
万全を期して検査に当たっていても、それを理解してもらえない。
こうした状況に、難しさと不条理さを感じる」

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【リスクを受けいれる寛容さを養う】

番組では、政府の専門家会議メンバーで、
感染者や医療従事者などに対する差別の問題について指摘している
東京大学武藤香織教授(医療社会学・研究倫理)が次のように語っています。

リスクをゼロにしたいという気持ちがいつのまにか怒りや不安に変わる、
しかし、だからといって人を攻撃するのは全く正当化できない、とした上で、
「私たちの社会は、はるか以前から、折に触れ
ハンセン病やエイズなどの感染症と闘ってきた。
その中で、必ず当事者の方は辛い思いをしながらも立ち上がり、
そして支える人が必ず現れて、時間をかけて辛い状況を克服してきた歴史がある。
新型コロナウイルスもそうなると思っている」

また武藤さんは、「未知の感染症への恐怖から
また誰かを責めたくなってしまうかもしれない。
繰り返し襲ってくるその恐怖にどうやって打ち克てばいいのか?」という問いに、
「この4カ月間、私たちはたくさんのことをこの感染症について学んできた。
今後はもっとスマートに乗り切っていけると思っている。
ただ、次の大きな流行が起こった際に、そのきっかけとなった
イベントや場所、人というものを私たちは知ることになるだろう。
そのときに、バッシングを繰り返してはいけない。
流行は起きるものなんだという覚悟を持って、
なんとかこのウイルスとうまく共存していく道を探したいと思っている。
リスクを受けいれる寛容さを養う、ということではないか」と答えています。

番組では、バッシングからの再起のカギとして、
私たち一人一人が“傍観者にならない”ことを挙げていました。
バッシング当事者の周りに家族・仲間の支えがあり、
その周りに地域・周囲の応援があり、さらにまたその周りに
社会全体の理解が広がっていくことが必要だと。

コトは生命や健康にかかわることだけに、
リスクを受けいれる、と言われてもなかなか難しいのはわかります。
リスクの許容度にも、おのずと個人差が出てくるでしょう。

それでも、感染者に対し存在自体を否定するような過度のバッシングをしたり、
周辺の人たちにまでいわれのない差別・偏見を持ったりするのは、
「明日は我が身」ということを考えるだけでも、
何かが好転するような賢明なやり方では決してない、と思いを新たにしました。

 

 

 

 

 

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