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ドラマ&小説『流行感冒』が教えてくれること

2021年4月13日

【見方が反転】

先日(4/10)、NHKのBSプレミアムで
放送された特集ドラマ『流行感冒』。
ご覧になった方も多いのではないでしょうか。

舞台は大正7(1918)年秋。
最初の子どもを早くになくした作家の「主人」が、
世間を騒がせはじめた流行感冒(スペインかぜ)をおそれます。
不要不急の外出を戒めるのは今にも通じるもので、
自分の小さな娘を運動会にも行かせないという徹底ぶり。
ただ、家族や周囲の警戒感がほとんどないというふうなコントラストは、
いつの時代もあるあるなんでしょうね。

そうした中、2人いるお手伝いの少女の1人が嘘をついて、
主人から固く禁じられていた芝居見物に行ってしまいます。
それが発覚してクビになりそうな時、
主人の奥さんがとりなして、引き続き働くことに。

ハイライトはここからです。
とうとう主人一家も流行感冒にかかりますが、
嘘をついて主人の怒りをかったお手伝いの少女だけかからず、
昼も夜もなく懸命に看護にあたります。
特に小さな娘を親身になってサポートする姿を見て、
見方が変わっていく主人。

そのあたりの機微を、ドラマの原作である
志賀直哉『流行感冒』(*)から引用します
(引用文中に出てくる「石」はお手伝いの少女の名前)。

――私達が困っている、だから石は出来るだけ働いたのだ。
それに過ぎないと云う風に解[と]れた。
長いこと楽しみにしていた芝居がある、
どうしてもそれが見たい、嘘をついて出掛けた、
その嘘が段々仕舞には念入りになって来たが、
嘘をつく初めの単純な気持は、
困っているから出来るだけ働こうと云う気持と
石ではそう別々な所から出たものではない気がした。――

さらに主人と奥さんが、石をクビにしなくてよかったと振り返る場面では、
――「両方とも今とその時と人間は別に変りはしないが、
何しろ関係が充分でないと、いい人同士でもお互に悪く思うし、
それが充分だといい加減悪い人間でも憎めなくなる」
「本統にそうよ。石なんか、欠点だけ見れば随分ある方ですけれど、
又いい方を見ると中々捨てられないところがありますわ」――
と言葉を交しています。

ドラマでも、最終盤で主人が、
「感冒はおそろしいなあ。この心の中の
醜い部分まで全部あぶり出された」と言えば、
「何もかも病のせいにして心を捨てることもできたけど、
あいにくと人はそう簡単に負けないんです。
つなぎとめるものがたくさんあるもの」と奥さんがこたえます。

(*)新潮文庫『小僧の神様・城の崎にて』所収

マスク

【いいことも悪いことも】

新型コロナが、個々人の受けとめの温度差もあって、
分断を促しているのは当初から言われてきたことです。
典型的なのは、対策が緩いと見なす人たちを敵視する「自粛警察」と、
そうした人たちを「コロナ脳」とバカにする対立でしょうか。
どちらにもそれなりの“一理”があると思われるのが、
厄介といえば厄介です。

でも、程度の問題はあるにせよ、
100%善人・賢者もいなければ100%悪人・愚者もいない、
自分の知らないところで、
いい人が悪いことや愚かなことをすることもあれば、
悪い人がいいことをすることもある、
という当たり前のことを忘れてしまっては、
息が詰まるような生きにくい世の中になるばかり……

ドラマ『流行感冒』を見て、原作を読んで、
私はそんなことを考えさせられました。