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3度目の緊急事態宣言ではっきりした課題

【限界線を越える前に】

4/25から東京都、大阪府、京都府、兵庫県に3度目の緊急事態宣言が発令されました。
新型コロナウイルスの変異種が脅威になっていますが、明らかに緊張感は薄れているように感じます。

昨年4月の1度目の宣言時には、わからないことだらけの未知のウイルスということもあって、
最大限の警戒をする空気はありましたが、1年以上過ぎ、いろいろなことを経て、
個人差こそあれ、だれてきている様子は否めません。

国民が自粛を求められるのは、感染拡大によって医療現場が逼迫することで、
助かる命も助からない最悪の事態を招いたり、コロナ以外の患者にも
手術の延期など悪影響が及ぶのを防ぐという、大切な目的があったはずです。
そしてその間に、コロナ受け入れ体制を整備することも重要な目的だったはず。

ところが、自粛要請は延々続く一方で、医療体制の整備は進んでいるようには見えないし、
加えて補償も不十分、不公平と感じられれば、しかも情けないことに、
自粛を促す行政側が自粛していない実態が判明するに至っては、
「正直者が馬鹿をみるんじゃ、やってられない」となるのはやむを得ない気もします。

さらには、新型コロナウイルス感染症の死亡率は、老若男女関係なくやられるほど
特段に高いわけではないから、ひろく経済を犠牲にするほど大騒ぎするのはいかがなものかという声も
強まっているように思えます(もっとも、変異種の死亡率が今後どうなるのかはわかりませんが)。

ただそれでも、です。
現実に新型コロナ感染症が重症化して亡くなる人がいるのは事実。
そして、それまで普通に喋っていた患者の症状が突然悪化し、懸命な看護もむなしく、
死に至る姿を目のあたりにしている医療従事者がいるのも、また事実です。
そのストレスたるや、尋常ではないことは容易に想像できます。

医療現場の大変さを伝える報道は、これまでもたくさんありました。先日(4/17)放送された
NHKスペシャル『看護師たちの限界線~密着 新型コロナ集中治療室~』もその1つ。
東京都内で新型コロナウイルスのICU(集中治療室)に勤務する25歳の看護師、京河祐衣さんが、
限界を迎えて辞めるまでの経緯を追っていました。

京河さんは、理想の看護ができているのかと悩んでいました。
コロナのICUで、1kg近い特殊なマスクをし、防護服を着ていると、
笑顔で語りかけることも、手を握って励ますことも十分にはできません。
呼吸器をつけて薬を投与するだけだったら、別にロボットがやればいいだけ。
でも人間の看護師がそれをやるには、それなりの意味があるはずで、
それを見出していかないといけないと思うが、なかなか体現できていない、と。
実際に患者からかけられた言葉が、自分は何をやっているのだろうと、刺さったことも明かされます。

京河さんは、病院の外では外食はせず、都が用意したビジネスホテルで独り暮らしをし、
友人や家族に会うこともほとんどない毎日です。
重装備で、手が離せない長時間勤務もざら。
おむつをして勤務している先輩もいるとのこと。

決してなおざりにできないお金の面も、ひどいものです。
夏のボーナスは前の年の半分、冬のボーナスは6割程度、定期昇給も見送り。
過酷な労働に報いられていないのは明らかです。

補助金の制度はあるものの、コロナ患者を受け入れると、それを恐れて他の受診が減るなどして
病院経営も厳しくなっているから、とは言いますが、
自らを危険にさらす、仕事はきつくなる、それでいて報酬は減るのでは、
部外者の私でも割り切れないものを強く感じます。

京河さんが仲間の前で辞める挨拶をするとき、
「後ろ髪を引かれる思いでいっぱい」と涙ぐんでいました。
一番人手が欲しいところに、一番人が足りないのがわかっているからです。
番組で取材に応じた病院のICUでは、この1年で勤務する30人の看護師のうち5人が、
体調を崩すなど出勤できない状態に追い込まれました。

京河さんは言います。
整わない環境の中で災害医療のようなことをやり続けてきて、
環境とか制度とかが追いつく前に患者は増え続けていく。
目の前に患者がいたら、やるしかない。
きっと世界中の医療者がそういうふうに思ってやってきた1年だったと思う。
この先何年もずっとそういうふうにやっていくのかな、
私にとっては1年ぐらいが限界かな、と。

新型コロナ感染症に過剰に反応するなという声が、100%間違っているとは思いません。
経済的な犠牲者の存在も無視できないのは当然です。

一方で感染拡大は、苛烈極まる環境で文字通り心身を削って看護に当たっている人の負担を
また一段と増やすという、実に理不尽な事態を招きます。

ならば、問題点は明らかなように思えます。
4/24付日経電子版の「この1年、何をしていたのか 医療敗戦くい止めよ」という記事では、
――重症者を集中的に治療する病院と、回復期療養を担う病院との機能分化・連携を
医療圏ごとに確立する。自覚症状がない人はホテルや自宅での療養を徹底する。
これが確立すれば救命率はもっと上がり、軽症者の重症化リスクにも備えられる。――
と指摘しています。
逆に言えば、1年経ってもこれができていないということです。

もちろん、個人個人の感染予防の継続は大前提です。
いまだに存在するコロナへの偏見や差別を減らすことも大事でしょう。
ただ、その努力に意義を感じられるだけの「進展」を見せてほしいのです。
医療崩壊しないために感染予防の努力を続けるのは重々理解できますけど、
だからといって医療体制が貧弱なまま、志の高い医療従事者だのみでいいはずがありません。

番組では最後に、次のように問いかけていました。
――未知のウイルスとの闘いを最前線で支えてきたのは、看護師たち一人一人の使命感だった。
限界線を越える前に、私たちの社会は手を打てるのだろうか――

ICU

【バーンアウトしやすいのは】

傷つきながら辞めていく看護師を番組で見て、思い出したことがあります。

大竹文雄+平井啓編著『医療現場の行動経済学 すれ違う医者と患者』で読んだんですが、
他人を思いやる気持ちの強い人の方が看護師に向いているとは言えないそうです。
患者の喜びを自分の喜びに感じるような看護師ほど、バーンアウトしやすいというのです。
辞めた京河さんは、そういうタイプの人のようでした。

行動経済学者のカリフォルニア大学サンディエゴ校ジェームズ・アンドレオーニ博士によれば、
利他性には2種類あって、

(1)純粋な利他性
純粋に利他的な人とは、他人の喜びを自分の喜びとして感じ、
他人の悲しみを自分の悲しみとして感じるというように、共感特性が強い人。
このタイプの看護師は、看護行為によって患者の苦しみが和らぐことを通して
自分自身の喜びを感じる、と考えられる。

(2)ウォーム・グロー
看護行為を行っている自分が好きというように、
看護行為そのものから自分自身の喜びを見出します。
このタイプの看護師は、患者の状態が良くなったり
悪くなったりすることから影響を受けにくい、と考えられる。

そして、(1)の方がバーンアウトしやすいとされています。
患者の喜びを自分の喜びとして感じるのと同様、
患者の悲しみも自分の悲しみとして引き受けてしまうため、
患者の死や症状の悪化に直面したときに、
自身のメンタリティまでやられてしまうのです。

さらに同著では、低い賃金でも高いクオリティの看護を行ってくれるのは、
看護師が利他的であることに依存しているのかもしれず、
それがバーンアウトしやすい環境につながっているなら、
看護師本人、医療機関双方にとって望ましくない、と述べています。

余談ですけども、政治家ではどうだろうと考えると、
利他性があるとするなら、圧倒的に(2)が多いのではないでしょうか。
国民の痛みをいちいち我が事のように受け止めていては、とても続けていけないでしょうし、
多くの批判にさらされたとしても、まるで平気でいられる(ように見える)からです。
安易に大衆迎合に流れないという意味では大事な素質と言える面もあるのかもしれませんが、
長引くコロナ禍においてどこまで国民が見えているのか、心もとない気がして仕方ありません。

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