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医療従事者の矜持――奈良時代のパンデミックでも通底

【必要とされているのであれば】

前回取り上げたNHKスペシャル『TOKYO2020 私たちの闘い』で
描き出されていたのは、選手たちの葛藤だけではありません。
医療従事者の方々もコロナ禍でのオリンピックを「闘って」いました。

東京オリンピックに協力した医療機関の一つ東京曳舟病院。
その陣頭指揮をとった副院長の三浦邦久さんは、これまでも、
災害やスポーツイベントの現場で医療活動に携わってきた経験をお持ちです。

コロナの感染が急拡大する中、「本来の病院業務に専念するべきだ」
という声もあがっていました。
それでもオリンピックを支えたのはなぜか。
その理由を三浦さんは次のように語っています。

――いろんなご意見があることは確かですし、
否定もしないし、肯定もしません。
ただ、目の前に困っている人がいる。
考え方は単純で、コロナもそうですし、
五輪であろうと何であろうと、
我々は必要とされているのであれば、
そこで最善を尽くしたいと思っています――

目の前の状況がイレギュラーで困難なものであっても、
その中で全力を尽くす点で、オリンピアンたちと違いはありません。

火定

【他人のために用いれば】

奈良時代、天然痘が都を襲い、多くの犠牲者が出た、
いわゆる「天平のパンデミック」をテーマにした小説に、
澤田瞳子『火定』があります。

当時の民間向け医療機関(施薬院等)は、
政争に明け暮れる藤原四兄弟への世間の批判を、
善行をアピールすることで少しでもかわそうという
不純な動機でつくられたものでした。

それでは、どんな崇高な務めを担う機関もうまく運用されるはずがなく、
結局、施薬院で最も重宝されるのは、典薬寮(中央の最高衛生行政機関)から
派遣される医師ではなく、お金や出世にも興味を持たず、
病人の救済のみに心血を注ぐ里中医(町医者)の綱手です。

決して“聖人君子”ではなく、
官医に対するねたみやそねみも抱いている綱手ですが、
文字通り命がけで患者と接します。

施薬院への配属を左遷人事と捉えていて、
やる気などなく辞めることばかり考えている名代[なしろ]が、
「人命を救うために働く者は己の命を投げ捨てよとは、
道理に合わぬではないか」と綱手に食い下がります。

綱手は言います。
――己のために行なったことはみな、己の命とともに消え失せる。
じゃが、他人のためになしたことは、たとえ自らが死んでも
その者とともにこの世に留まり、わしの生きた証となってくれよう。~

わが身のためだけに用いれば、人の命ほど儚く、むなしいものはない。
されどそれを他人のために用いれば、己の生には万金にも値する意味が生じよう。
さすればわしが命を終えたとて、誰かがわしの生きた意味を継いでくれると
言えるではないか――

私には、綱手と重なって頭に浮かぶ人がいます。
福岡市出身の医師、中村哲先生です。
中村先生は、生活環境を改善することが病気の予防にもなると、
アフガニスタンで医療活動にとどまらないまちづくりに取り組んでこられました。
その偉大な足跡は、多くの本やテレビ番組でも取り上げられています。
それだけに、一昨年12月、中村先生が現地で凶弾にたおれたことが
今でも悔やまれてなりません。

8/24に東京パラリンピックが開幕しました。
そもそもパラリンピックという名称は、
前回(1964年)の東京大会の際に日本で名付けられた愛称で、
1985年に正式名称になりました(日本パラリンピック委員会)。

東京に帰ってきたパラリンピック。
小池百合子東京都知事は、「パラリンピックの成功なくして
東京大会の成功はない」と言ってきました。

ただ、コロナ禍は依然厳しいままです。
個人的には、選手は応援したい、感染拡大は心配、という
オリンピック同様なんとも複雑な心境です。
大事にならないよう願うしかありません。

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