NOTITLE

前回は、正解がますますわからなくなってきているご時世で、
言い換えれば、正解の可能性がさまざま広がっていく中で、
起業家精神がより一層重要になってくるという話題でした。

そこで取り上げたTV番組『特命! 池上ベンチャーズ』で、
キーワードの1つになっていたのが「Z世代」です。
この言葉はご存知の方も多いでしょう。

「おひとりさま」「草食系」などを広めたとされるトレンド評論家で、
『若者たちのニューノーマル』『恋愛しない若者たち
コンビニ化する性とコスパ化する結婚』などの著書もある、
マーケティング会社インフィニティ代表、牛窪恵さんによれば、
出演した『日経モーニングプラスFT』(2021.1.6放送)で、
Z世代の特徴を次のように分析しています。

【Z世代はリスクヘッジ志向】

◆Z世代(95~04年生まれ/16~25歳)
 メディアとの関わり……動画・VR・SNSネイティブ
 自己投資意欲……強
 価値観……失敗に備えてリスクヘッジ(行動力あり)

ちなみに上の世代は、
◆ゆとり世代(88~94年生まれ/26~32歳)
 メディアとの関わり……スマホ・画像・デジタルネイティブ
 自己投資意欲……中
 価値観……無駄なことはしたくない(コスパ志向)

◆草食系世代(81~87年生まれ/33~39歳)
 メディアとの関わり……ガラケー・絵文字・ネットコミュニティ
 自己投資意欲……弱
 価値観……失敗したくない(節約志向)
とされています。

Z世代は、物心ついた時から、2001年には同時多発テロ、
2008年にはリーマンショック、2011年には東日本大震災に見舞われ、
大不況とか大災害はいつ起こるかわからないという認識があり、
それらに備えておこうというリスクヘッジがしみついています。。

【Z世代を読み解く3要素】

◆酔っぱらっていいことは1つもない
1997年と2017年の飲酒習慣率を比べると、男性で半減、女性では1/3程度。
Z世代は結果を考えて行動するので、酔っぱらったら周りに迷惑をかけるとか、
終電を逃すとか、次の日の仕事に差し障るとか、マイナス要因が多いなら、
最初から飲む必要はないと考えます。

◆親こそが最後の砦「親ラブ族」
離婚件数は、2000年代の頭に29万件とピークで、その後微減傾向ながら横ばい。
そうした環境下、親の仲を取り持ちたい、いい子でいたいという意識が強いです。

◆結婚披露宴をしない「ナシ婚」が5割
披露宴は「押しつけの茶番」と断じます。
そういうのにお金を使うぐらいなら、新婚旅行とか新生活にお金を回すのが得策。
ただ、家族のつながりは大事にしているので、
顔合わせで食事や写真撮影などはきちんとやります。

【Z世代の仕事観】

Z世代は、仕事と育児・家事といったプライベートの「二刀流」。
学生時代からキャリア教育を受けている人が多く、
育休が取れるような会社を好んで選び、
働く時間ではなく中身をはっきりさせてしっかり働く「ジョブ型雇用」志向。
その会社で一生働くことを否定はしない一方で、
転職しなければならないことになることも想定し、
それに備えるという考え方をするので、スキルを磨きたいという思いがあります。
逆に、プライベートを重視しないとか、
スキルアップの機会(副業など)を提供できない職場は敬遠されます。

突き抜ける_2

【Z世代に選ばれるには「ぶれない」こと】

いわゆるバブル世代(1965~72年頃生まれ)に属する私ですけど、
個人的には「〇〇世代」という括り方は単眼的な見方に陥りがちで、
あまり好みではありません。ただそれでも、
生まれ育った時代の社会情勢や空気などの影響は当然ありますから、
個人差があるのは承知の上で、牛窪さんの指摘をとても興味深く受けとめました。

一言でいえば、ずいぶんしっかりしているという印象のZ世代。
そのZ世代に選ばれるためには何が必要か。
牛窪さんは、「ぶれない」ことが重要と言います。
Z世代は情報量が上の世代と比べるとはるかに多く、そんな中で、
信頼できるのは、ぶれないこととほぼイコールと考える人が多いというのです。
どこぞの誰かに聞かせてやりたい気持ちが抑えきれません(^^;

前回取り上げた『特命! 池上ベンチャーズ』の中で、
早稲田大学ビジネススクール教授の入山章栄さんが、
Z世代は、今のコロナもそうだけど、東日本大震災などの
大きな国難を若いうちに経験していることもあって、
デジタル技術を使いながら社会貢献型ビジネスをやることに
興味のある人が多い、と指摘していました。

不況免疫があり、リスクヘッジ志向、合理的、
自分の武器となるスキルの習得にも積極的で、
社会貢献への意識も高い……
かくも豊かな「レジリエンス」を備えたZ世代が担う未来は
明るくならないわけがないでしょう。

そうなると、Z世代にもってこいの強力な武器となり得る留学が、
にっくきコロナのせいで、ままならなくなっているのは、
返すがえすも残念でなりません。

コロナよ、もういい加減、はやくしずまれ!

【11歳の小学生起業家】

コロナ禍で迎えた2度目のゴールデンウィーク。
世間に濃淡さまざま漂う閉塞感やイライラ感、
その裏返しのようにも見える反発的な解放感……、
まあとにかく異例の大型連休です。

期待のワクチン接種はなかなか進まず、
楽しみだったはずの五輪ももめにもめ、一部で、
コロナがもれなくついてくる「コロリンピック」と揶揄される始末。
気がふさぐ要因には事欠かないですけど、
今回取り上げたいのは、元気がもらえるような
若者によるベンチャーの話です。

30歳以下の起業家ばかり10人を(リモートで)集め、
3/7に放送された『特命! 池上ベンチャーズ』はとても刺激的で、
ちょっと大げさですが、決して世の中暗黒に向かってなどいない、
と思わせてくれました。

中でも、タイムリープの仁禮[にれい]彩香さん(23歳)は印象的でした。
タイムリープは、小学生から高校生までの子どもたちに、
オンラインで起業家教育プログラムを提供しています。

授業料は9カ月で27万8000円(税別)。
なかなかの負担ですが、今期は定員の3倍の応募があったそうです。

番組では、タイムリープで具体的にビジネスを立ち上げた例として、
鳩間みのんちゃん(11歳!)が紹介されていました。
海岸に流れ着いたガラスの欠片「シーグラス」を使ってアクセサリーをつくり、
売上の一部を環境団体に寄付するというビジネスです。
コンセプトは、「環境保全をファッショナブルにする」。
海をきれいにしながらファッションを楽しむというのですから、
よく考えているなあと、私なんか感服するしかありません。

みのんちゃん(ちゃん付けは失礼かとも思わされます(^^ゞ)は、
「起業というのは“自分がやりたいこと”をやること」と話していました。
みのんちゃんのお母さんの彩乃さんも、「学校ではインプットの教育が主。
家ではアウトプットをする機会を増やしていこうと思っていました。
学校で学べることと、タイムリープで学べること、両方の良さがあります」と。

実は仁禮さん自身も、中学2年で起業しています。
学校に仕事の体験ができるプログラムを提供する会社です。
なぜ子どもたちに起業家教育をするのか?
仁禮さんは、「起業家を育成することが一番の目的ではなくて、
自分の人生を切り開く力を育むのが目的です。
実践の中で何かをやってみて、気づきを得るための手段として、
起業家的な経験をすることはすごくいいと思います」と語っていました。

番組でMCの池上彰さんは、「日本はまず公教育があって、
その枠の中にはめようとして、人によっては飛び出してしまう。
昔は飛び出そうとすると大変な袋叩きにあったが、
それが認められるようになってきているのが大きい」とコメントしていました。

こもれび

【やわらか頭にかたい意志】

3/23付本欄『地方在住の高専卒IT企業創業者が提唱する「ソフトウエアの地産地消」』
で取り上げた渋谷修太さんもそうですが、
テレビや書籍で目にする起業家の方々はみな、
既存の枠にはまらず、自ら新しい枠をつくって活動しているイメージがあります。

固定観念にとらわれないやわらかい頭を持ちつつ、
自分がやりたいこと、価値があると思うことを実現させようとする
かたい意志もあわせ持っている人たちです。

実際に起業するかどうかは別にして、
いわゆるアントレプレナーシップ(起業家・事業家精神)は、
決まったレールがどんどん解体されていくような今の時代に、
ますます必要となる素養と言えそうです。

それを若いうちから、というか若いうちだからこそ教えるプログラムは、
今後もどんどんニーズが高まっていくのではないでしょうか。

ちなみに、若者が夢や理想を語る時に、
いわゆる“大人”から出てきがちなのが、
「やることをやってからにしろ」という類の批判。
確かに一理あると思いますが、でもその「やること」が、
「やってる感」を出すだけのどうでもいいことだったとしたら?
昔から誰でもやってきたことだけど、
もう目的がよくわからなくなっているとしたら?
結構、そんなことはあるんじゃないかと思います。

「世の中こんなもの」と訳知り顔に受け入れない、
嫌なこと、不便なこと、腑に落ちないことがあっても、
逃げたりサボったりするんじゃなく、変えていこうとする、
そういったメンタリティを持った若い世代に、期待せずにはいられません。

【限界線を越える前に】

4/25から東京都、大阪府、京都府、兵庫県に3度目の緊急事態宣言が発令されました。
新型コロナウイルスの変異種が脅威になっていますが、明らかに緊張感は薄れているように感じます。

昨年4月の1度目の宣言時には、わからないことだらけの未知のウイルスということもあって、
最大限の警戒をする空気はありましたが、1年以上過ぎ、いろいろなことを経て、
個人差こそあれ、だれてきている様子は否めません。

国民が自粛を求められるのは、感染拡大によって医療現場が逼迫することで、
助かる命も助からない最悪の事態を招いたり、コロナ以外の患者にも
手術の延期など悪影響が及ぶのを防ぐという、大切な目的があったはずです。
そしてその間に、コロナ受け入れ体制を整備することも重要な目的だったはず。

ところが、自粛要請は延々続く一方で、医療体制の整備は進んでいるようには見えないし、
加えて補償も不十分、不公平と感じられれば、しかも情けないことに、
自粛を促す行政側が自粛していない実態が判明するに至っては、
「正直者が馬鹿をみるんじゃ、やってられない」となるのはやむを得ない気もします。

さらには、新型コロナウイルス感染症の死亡率は、老若男女関係なくやられるほど
特段に高いわけではないから、ひろく経済を犠牲にするほど大騒ぎするのはいかがなものかという声も
強まっているように思えます(もっとも、変異種の死亡率が今後どうなるのかはわかりませんが)。

ただそれでも、です。
現実に新型コロナ感染症が重症化して亡くなる人がいるのは事実。
そして、それまで普通に喋っていた患者の症状が突然悪化し、懸命な看護もむなしく、
死に至る姿を目のあたりにしている医療従事者がいるのも、また事実です。
そのストレスたるや、尋常ではないことは容易に想像できます。

医療現場の大変さを伝える報道は、これまでもたくさんありました。先日(4/17)放送された
NHKスペシャル『看護師たちの限界線~密着 新型コロナ集中治療室~』もその1つ。
東京都内で新型コロナウイルスのICU(集中治療室)に勤務する25歳の看護師、京河祐衣さんが、
限界を迎えて辞めるまでの経緯を追っていました。

京河さんは、理想の看護ができているのかと悩んでいました。
コロナのICUで、1kg近い特殊なマスクをし、防護服を着ていると、
笑顔で語りかけることも、手を握って励ますことも十分にはできません。
呼吸器をつけて薬を投与するだけだったら、別にロボットがやればいいだけ。
でも人間の看護師がそれをやるには、それなりの意味があるはずで、
それを見出していかないといけないと思うが、なかなか体現できていない、と。
実際に患者からかけられた言葉が、自分は何をやっているのだろうと、刺さったことも明かされます。

京河さんは、病院の外では外食はせず、都が用意したビジネスホテルで独り暮らしをし、
友人や家族に会うこともほとんどない毎日です。
重装備で、手が離せない長時間勤務もざら。
おむつをして勤務している先輩もいるとのこと。

決してなおざりにできないお金の面も、ひどいものです。
夏のボーナスは前の年の半分、冬のボーナスは6割程度、定期昇給も見送り。
過酷な労働に報いられていないのは明らかです。

補助金の制度はあるものの、コロナ患者を受け入れると、それを恐れて他の受診が減るなどして
病院経営も厳しくなっているから、とは言いますが、
自らを危険にさらす、仕事はきつくなる、それでいて報酬は減るのでは、
部外者の私でも割り切れないものを強く感じます。

京河さんが仲間の前で辞める挨拶をするとき、
「後ろ髪を引かれる思いでいっぱい」と涙ぐんでいました。
一番人手が欲しいところに、一番人が足りないのがわかっているからです。
番組で取材に応じた病院のICUでは、この1年で勤務する30人の看護師のうち5人が、
体調を崩すなど出勤できない状態に追い込まれました。

京河さんは言います。
整わない環境の中で災害医療のようなことをやり続けてきて、
環境とか制度とかが追いつく前に患者は増え続けていく。
目の前に患者がいたら、やるしかない。
きっと世界中の医療者がそういうふうに思ってやってきた1年だったと思う。
この先何年もずっとそういうふうにやっていくのかな、
私にとっては1年ぐらいが限界かな、と。

新型コロナ感染症に過剰に反応するなという声が、100%間違っているとは思いません。
経済的な犠牲者の存在も無視できないのは当然です。

一方で感染拡大は、苛烈極まる環境で文字通り心身を削って看護に当たっている人の負担を
また一段と増やすという、実に理不尽な事態を招きます。

ならば、問題点は明らかなように思えます。
4/24付日経電子版の「この1年、何をしていたのか 医療敗戦くい止めよ」という記事では、
――重症者を集中的に治療する病院と、回復期療養を担う病院との機能分化・連携を
医療圏ごとに確立する。自覚症状がない人はホテルや自宅での療養を徹底する。
これが確立すれば救命率はもっと上がり、軽症者の重症化リスクにも備えられる。――
と指摘しています。
逆に言えば、1年経ってもこれができていないということです。

もちろん、個人個人の感染予防の継続は大前提です。
いまだに存在するコロナへの偏見や差別を減らすことも大事でしょう。
ただ、その努力に意義を感じられるだけの「進展」を見せてほしいのです。
医療崩壊しないために感染予防の努力を続けるのは重々理解できますけど、
だからといって医療体制が貧弱なまま、志の高い医療従事者だのみでいいはずがありません。

番組では最後に、次のように問いかけていました。
――未知のウイルスとの闘いを最前線で支えてきたのは、看護師たち一人一人の使命感だった。
限界線を越える前に、私たちの社会は手を打てるのだろうか――

ICU

【バーンアウトしやすいのは】

傷つきながら辞めていく看護師を番組で見て、思い出したことがあります。

大竹文雄+平井啓編著『医療現場の行動経済学 すれ違う医者と患者』で読んだんですが、
他人を思いやる気持ちの強い人の方が看護師に向いているとは言えないそうです。
患者の喜びを自分の喜びに感じるような看護師ほど、バーンアウトしやすいというのです。
辞めた京河さんは、そういうタイプの人のようでした。

行動経済学者のカリフォルニア大学サンディエゴ校ジェームズ・アンドレオーニ博士によれば、
利他性には2種類あって、

(1)純粋な利他性
純粋に利他的な人とは、他人の喜びを自分の喜びとして感じ、
他人の悲しみを自分の悲しみとして感じるというように、共感特性が強い人。
このタイプの看護師は、看護行為によって患者の苦しみが和らぐことを通して
自分自身の喜びを感じる、と考えられる。

(2)ウォーム・グロー
看護行為を行っている自分が好きというように、
看護行為そのものから自分自身の喜びを見出します。
このタイプの看護師は、患者の状態が良くなったり
悪くなったりすることから影響を受けにくい、と考えられる。

そして、(1)の方がバーンアウトしやすいとされています。
患者の喜びを自分の喜びとして感じるのと同様、
患者の悲しみも自分の悲しみとして引き受けてしまうため、
患者の死や症状の悪化に直面したときに、
自身のメンタリティまでやられてしまうのです。

さらに同著では、低い賃金でも高いクオリティの看護を行ってくれるのは、
看護師が利他的であることに依存しているのかもしれず、
それがバーンアウトしやすい環境につながっているなら、
看護師本人、医療機関双方にとって望ましくない、と述べています。

余談ですけども、政治家ではどうだろうと考えると、
利他性があるとするなら、圧倒的に(2)が多いのではないでしょうか。
国民の痛みをいちいち我が事のように受け止めていては、とても続けていけないでしょうし、
多くの批判にさらされたとしても、まるで平気でいられる(ように見える)からです。
安易に大衆迎合に流れないという意味では大事な素質と言える面もあるのかもしれませんが、
長引くコロナ禍においてどこまで国民が見えているのか、心もとない気がして仕方ありません。

【子どもも親もともに】

1年前の4月12日付本欄で、新型コロナの影響で巻き起こった
トイレットペーパー買い占め騒動(そんなこともありましたね)を受けて、
情報への接し方の指針となる「かちもない」をご紹介しました。
『情報は「かちもない」で判断しよう』

<か>
書いた人は誰で、専門知識があるか。
匿名だと無責任な発信の場合がある。
<ち>
違う情報を探し、比べる。
特定の情報だけをすぐに信じてはいけない。
<も>
元ネタは何か、根拠を示す文献がなければ、
個人の考えで勝手に言っているだけの可能性がある。
<な>
何のために書かれたか。
商品やサービスを売る目的のことがある。
<い>
いつの情報か。
古い情報だと、現在では当てはまらない可能性がある。

これら<か><ち><も><な><い>が確認できなければ、
情報として「価値もない」という考え方です。
聖路加国際大学教授(看護情報学)の中山和弘先生が提唱しました。

今回は、『NHK NEWSおはよう日本』(2021.1.29)で取り上げられた、
「ネットの情報 見極める“4つのスイッチ”」をご紹介します。

埼玉県杉戸町立西小学校の授業で、
情報の真偽を判断するポイントとして
「4つのスイッチ」を教えています。
それは――

「事実かな 印象かな」
「他の見方もないかな」
「何が隠れているかな」
「まだ分からないよね」

中でも一番重要なのは、「まだ分からないよね」で、
情報をうのみにせず、一度立ち止まって考えようとしています。

授業では、「新型コロナにより再度の一斉休校か」という
先生が用意した架空の情報の中から、生徒たちが、
信頼できる情報源が示されていないなど、
不確かな部分を指摘し合っていました。

同校の上山諒先生は、「(子どもたちも)実体験を伴って
誤った情報から周りが振り回されているところを
感じていると思うので、そういった大人にならないために、
小学生の段階で身につけるべき力を養いたい」と語っていました。

保護者にも危機感はあります。
この授業を行ったクラスの保護者にアンケートを行ったところ、
子どもと情報について話す機会があるのは7割にのぼった一方で、
SNSの使い方には、親自身も含め戸惑っている様子が浮かび上がりました。

「4つのスイッチ」を考案した白鷗大学特任教授(情報教育)の下村健一先生は、
「包丁は危ないから料理に使うなというわけにはいかない。
インターネットやSNSも同じで、危ないから使うなではなく、
安全な使い方を教える。
徐々に教えていくのは、早いに越したことはない。
まだ分からないよねとか、他の見方もないかなとか、
親が子どもにつぶやいてみせる、
そのつぶやいている横顔をみせる、
そういう形で一緒に学んでいけばいいんじゃないか」と語っています。

一説では、私たちが1日に受け取る情報量は、
江戸時代の1年分にも達するといいます。
そうなるとどうしても、自分にとってわかりやすいとか、
信じやすいとか、お気に入りの情報ばかりに意識を向けたり、
錯綜する情報の何を信じたらいいのかと投げやりになってしまいがちなのは、
ある意味仕方ないことなのかもしれません。

でも、だからこそ、
「かちもない」や「4つのスイッチ」を心に留め、
軽薄な言動には気をつけたいものです。
何事も簡単に決めつけることはしないように心がけるだけでも、
情報リテラシーを高められるのではないでしょうか。

【見方が反転】

先日(4/10)、NHKのBSプレミアムで
放送された特集ドラマ『流行感冒』。
ご覧になった方も多いのではないでしょうか。

舞台は大正7(1918)年秋。
最初の子どもを早くになくした作家の「主人」が、
世間を騒がせはじめた流行感冒(スペインかぜ)をおそれます。
不要不急の外出を戒めるのは今にも通じるもので、
自分の小さな娘を運動会にも行かせないという徹底ぶり。
ただ、家族や周囲の警戒感がほとんどないというふうなコントラストは、
いつの時代もあるあるなんでしょうね。

そうした中、2人いるお手伝いの少女の1人が嘘をついて、
主人から固く禁じられていた芝居見物に行ってしまいます。
それが発覚してクビになりそうな時、
主人の奥さんがとりなして、引き続き働くことに。

ハイライトはここからです。
とうとう主人一家も流行感冒にかかりますが、
嘘をついて主人の怒りをかったお手伝いの少女だけかからず、
昼も夜もなく懸命に看護にあたります。
特に小さな娘を親身になってサポートする姿を見て、
見方が変わっていく主人。

そのあたりの機微を、ドラマの原作である
志賀直哉『流行感冒』(*)から引用します
(引用文中に出てくる「石」はお手伝いの少女の名前)。

――私達が困っている、だから石は出来るだけ働いたのだ。
それに過ぎないと云う風に解[と]れた。
長いこと楽しみにしていた芝居がある、
どうしてもそれが見たい、嘘をついて出掛けた、
その嘘が段々仕舞には念入りになって来たが、
嘘をつく初めの単純な気持は、
困っているから出来るだけ働こうと云う気持と
石ではそう別々な所から出たものではない気がした。――

さらに主人と奥さんが、石をクビにしなくてよかったと振り返る場面では、
――「両方とも今とその時と人間は別に変りはしないが、
何しろ関係が充分でないと、いい人同士でもお互に悪く思うし、
それが充分だといい加減悪い人間でも憎めなくなる」
「本統にそうよ。石なんか、欠点だけ見れば随分ある方ですけれど、
又いい方を見ると中々捨てられないところがありますわ」――
と言葉を交しています。

ドラマでも、最終盤で主人が、
「感冒はおそろしいなあ。この心の中の
醜い部分まで全部あぶり出された」と言えば、
「何もかも病のせいにして心を捨てることもできたけど、
あいにくと人はそう簡単に負けないんです。
つなぎとめるものがたくさんあるもの」と奥さんがこたえます。

(*)新潮文庫『小僧の神様・城の崎にて』所収

マスク

【いいことも悪いことも】

新型コロナが、個々人の受けとめの温度差もあって、
分断を促しているのは当初から言われてきたことです。
典型的なのは、対策が緩いと見なす人たちを敵視する「自粛警察」と、
そうした人たちを「コロナ脳」とバカにする対立でしょうか。
どちらにもそれなりの“一理”があると思われるのが、
厄介といえば厄介です。

でも、程度の問題はあるにせよ、
100%善人・賢者もいなければ100%悪人・愚者もいない、
自分の知らないところで、
いい人が悪いことや愚かなことをすることもあれば、
悪い人がいいことをすることもある、
という当たり前のことを忘れてしまっては、
息が詰まるような生きにくい世の中になるばかり……

ドラマ『流行感冒』を見て、原作を読んで、
私はそんなことを考えさせられました。

【2025年から「情報」導入】

大学入試センターが公表した2025年1月実施の
大学入学共通テストの教科・科目再編案によれば、
プログラミングや、データサイエンスに必要な統計処理、
情報リテラシーの知識などを試す「情報」を導入し、
国語や数学などと並ぶ基礎教科とする、とあります。(3.24日経電子版)
今後ますます必要とされるIT人材の裾野拡大が狙いです。

実際の試験では、パソコンを使って出題・解答する
「CBT(Computer Based Testing)方式」ではなく、
他教科と同じようにマークシート式となる見通しとのこと。
その理由を大学入試センターは、「全国的に均質で質の高い受験環境の確保や
社会全体の理解などについて細やかな検討が必要」との観点から、
機材確保の困難さなどから25年のCBT方式導入は見送るべき、としています。

デジタル化の遅れが随所で指摘されている日本で、
人材の育成は急がなくてはいけない課題なので、
「情報」の入試導入を歓迎する声がある一方で、
心配する声もあります。

記事では、サイエンスライターの竹内薫さんや、
東京大学大学院情報理工学系研究科准教授の山崎俊彦さんが、
試験科目になることで逆に嫌いになる人が増えるのではないか、
という旨のコメントを寄せています。

竹内さんは、マークシート式になる見通しであることに対し、
――いや、これ、普通にプログラミングをやってもらう試験にしないと、
またまた暗記学習の延長になる恐れが大です。
年表憶えたり、公式憶えたり、英語の構文憶えたりしても、
歴史の深い洞察力につながらず、数学も楽しくないし使えず、
英語のコミュニケーションができない…
散々、くりかえしてきた失敗ではないですか。――と指摘。
うなずく方も多いのでないでしょうか。

英語もそうですけど、「情報」の重要性を真っ向から否定する人は
ほとんどいないと思われます。
問題は、その教え方であり、学び方であり、評価の仕方でしょう。

関西学院大学社会学部准教授の寺沢拓敬さんが昨年著した
『小学校英語のジレンマ』では、
小学校での英語の教科化、早期化に関する
長年にわたる議論を丹念に追いながら、現状に対して、
「影響が広範囲に及ぶわりに即効性が乏しい施策を選択するのはかなりの悪手」と
警鐘を鳴らしています。

さらに、小学校英語への世論や保護者の多大な支持は、
――良く言えば大きな期待の表れだが、悪く言えば過剰な楽観である。
単に早く始めただけでは英語教育改革の切り札にはならないことや
条件整備の面で多くの課題があることは
関係者・研究者の間では周知の事項だからである。――と指摘しています。

同様のことが、「情報」にも起こらないよう、
どれだけ予算を割けるかなど難しい問題もありますが、
熟議を重ねていい方向に向かってほしいと切に願います。

プログラミング

【結局頼りになるのは】

先日(3/12)、日テレ系のFBSで『Fukushima 50』が放送されました。
東日本大震災時に、東京電力福島第一原子力発電所で何が起きていたのか、
文字通り命がけで事故の対応にあたった約50名の人々、
通称「Fukushima 50」を描いた映画です。

去年の3月に公開されていて、私も映画館に見に行きました。
その感想も本欄で書かせてもらっています(2020.3.11『震災で忘れていけないひとつだけのこと』)。

今回ご紹介したいのは、昨年刊行された、幻冬舎文庫の黒木亮『ザ・原発所長』。
2015年に朝日新聞出版より出されたものを加筆修正した作品です。
当時の吉田昌郎所長(作中では富士祥夫)をモデルにした大河小説で、
70名以上に上る関係者への取材をもとに、
上下巻合わせて800ページ超にわたって富士祥夫の人生が描かれています。

「無限のエネルギー」という理想とは裏腹に、
安全性を犠牲にしてまでコスト削減の圧力がかかったり、
安全神話やコストカット圧がトラブル隠しを誘発したり、
「原子力という蜜」に群がる政財官や裏社会の構造があったり……、
「本作品には、一部実在の人物や団体が登場しますが、内容はフィクションです。」と
断ってはあるものの、迫真性はさすが作者ならではと感じました。

圧巻は、やはり原発事故への対応です。
苛烈な状況でなんとか対処しようとしている現場と、
それを理解していない政府や電力会社のお偉方のズレを腹立たしく思う一方で、
かつて経験したことのない大災害時には、こうなってしまうのかという複雑な感情もありました。

例えば、極めて緊急事態なのに、政府の意向を忖度する電力会社上層部の姿は、
実に情けないとは思いますが、もし自分がその立場だったらどうするだろう、
もっと言えば、多くの命を左右するレベルの事態に直面して、
責任を負うような言動ができるだろうか、なんて想像すると、
先ほども言った複雑な感情になりました。

そんな私ですが、『ザ・原発所長』で一番印象的だった登場人物は、
所長の富士祥夫は別にして、富士と同い年の原発運転員、八木英司です。

八木は高専卒で、原発を知り尽くしています。
「弁の場所、ポンプの場所、配管の場所、機器類の場所、
そんなのを図面を見て、瞬時かつ正確に思い出せないと、
いざというとき、どうしようもないですからねえ」と言う八木に、富士は、
「優れた運転員は、ここまで考えて仕事をしているのか……」と感心するシーンがあります。

実際、ちょっとしたトラブル時にも、八木は異常を示すランプがつく前に、
予言者のように点灯を言い当てるなど、瞬時に原因を突き止め処置します。
≪八木の頭には、発電所の機器や配管や電気系統の隅々までが刷り込まれ、
それぞれがどのように作用し合うかを、計器類が示す数値をもとに、
コンピューターのように弾き出していた。≫

さらに、大震災時の事故の際も、四号機の使用済み燃料プールの映像をちょっと見ただけで、
八木は故障個所を即座に見抜きます。
「あいつの目、マサイ族か!?」と驚く富士。

そんな八木ですから、富士の信頼も当然のように厚く、
富士は、最後の最後は、残った作業員も生きて帰し、
気心の知れた八木と二人で死のうと考えていました。

まあ、そんなこんなで、言い方は適切ではないかもしれませんが、
八木英司がなんともカッコよく思いました。
もちろん、本当に役立つ人材を見極めて重用する所長も〇です。

いざという時、“大所高所”からいろいろなことを言ってくるお偉方より、
現場に精通したスタッフの方がはるかに頼りになるのは、
日本中いたるところで見かける姿なのかもしれませんね。


ザ・原発所長

【破格の大ヒット】

社会現象ともなった「鬼滅の刃」。
全く見ていないという人でも、名前ぐらいは耳にしたことがあるのではないでしょうか。

3月3日、作者の吾峠呼世晴さんが2020年度芸術選奨文部科学大臣新人賞を贈られました。
文化庁のホームページに掲載された贈賞理由は、
――破格の単行本売り上げや映画の興行収入新記録を達成した「鬼滅の刃」。
愚直なまでに優しい主人公と献身的な仲間たちが理不尽な絶望を乗り越える姿は,
困難な現今(げんこん)に生きる人々の心を燃やした。
「週刊少年ジャンプ」のモットー「友情・努力・勝利」を体現し,
マンガとアニメを軸に社会現象と化した本作は,
メディア芸術分野の歴史にふさわしい厚みと現在性を兼ね備えている。
誰よりも次回作が待望される吾峠呼世晴氏に,敬意と激励を込めて贈賞する。――

これって、文化庁の職員さんが考えた文章でしょうか?
「鬼滅の刃」屈指の名セリフを踏襲した「~人々の心を燃やした」といったあたり、
なかなかのファン度とお見受けしました(^^)

さらに3月6日、アニメ版「鬼滅の刃」が“声優界のアカデミー賞”とも言われる、
第15回声優アワードで特別栄誉賞を受賞しました。
原作が持っている力はもちろん、声優陣の大熱演(+美しいアニメーション)も、
大きな魅力になっていることは間違いありません。

昨年10月16日に公開された『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』は今でも上映されていて、
3月8日に発表された最新の興行収入(興行通信社調べ)は384億円、
観客動員数は2,787万人となっていて、歴代1位の記録を更新し続けています。
何度も見に行くリピーターも少なくないようで、
ストーリーやシーンは頭に入っているのに、それでも見たくなるのは、
優れた作品に共通する特長ですね。

「鬼滅の刃」の凄まじいまでの人気を示す調査結果もあって、
昨年12月に公表されたベネッセホールディングスによる、
「小学生が選ぶ!2020年 あこがれの人」(*1)では、
「鬼滅」から実に7人もトップ10に入っています。

1位 竈門炭治郎(「鬼滅の刃」)
2位 お母さん
3位 胡蝶しのぶ(「鬼滅の刃」)
4位 先生
5位 お父さん
6位 冨岡義勇(「鬼滅の刃」)
7位 竈門禰豆子(「鬼滅の刃」)
8位 煉獄杏寿郎(「鬼滅の刃」)
9位 我妻善逸(「鬼滅の刃」)
10位 時透無一郎(「鬼滅の刃」)

ここまでくると、「お母さん」「先生」「お父さん」を挙げた子どもが、
逆になんだか愛おしく思えるのは私だけでしょうか(^^;

(*1)「進研ゼミ小学講座」の小学3~6年生7661人(女子5170人、男子2491人)を対象に、2020年11月20~23日に実施。

「鬼滅の刃」のいわゆる聖地のひとつ、福岡県太宰府市の宝満宮竈門神社[ほうまんぐうかまどじんじゃ]。「鬼滅」のキャラクターが描かれた絵馬がたくさん奉納されています

「鬼滅の刃」のいわゆる聖地のひとつ、福岡県太宰府市の宝満宮竈門神社[ほうまんぐうかまどじんじゃ]。いろいろな「鬼滅」のキャラクターが描かれた絵馬がたくさん奉納されています


【「鬼滅の刃」は新しい神話か】

ハマっているのは子どもたちばかりではなく、
少なからぬ大人にも浸透しています。

秀でたコンテンツには、多様な解釈を誘起する深さや奥行きがあります。
ご多分に漏れず「鬼滅の刃」にも、さまざまな関連グッズの他にも、
いろんな“研究本”が出版されています。
著者の主張にどれほど納得するかは別にして、
「そんな見方もできるのか」と発見があるのは楽しいものです。

今回はそんな中の1冊、先月刊行された一条真也さん(*2)の
『「鬼滅の刃」に学ぶ』をご紹介します。

なぜこの本なのか。
「鬼滅の刃」の大ヒットを、「コロナ禍であるにもかかわらず、ではなく、
コロナ禍だからこそ」と言っているところが気になったからです。

一条さんは、「鬼滅の刃」が多くの人の心の琴線に触れた理由を、
神道、儒教、仏教の側面から、具体的な場面に即して分析してみせます。
個人的には、とても興味深く読みました。
以下は、そのエッセンスと思うくだりです。

――神道からは神についての観念、ヒノカミ神楽、
死後は故郷に帰り転生するという魂のあり方、
世代を超えて受け継がれる使命の力など、
物語の基層的な面に見出すことができます。
対して儒教・仏教は、登場人物たちを通して八徳を有した生き方、
あるいは知足・因果応報・怨親平等など、人間の目指すべき姿に関して、
主として肯定的なものを鬼殺隊が、否定的な面を鬼側が担う構図として
描かれているように思われます。――

そして一条さんは、「鬼滅の刃」を
「これまでに神話や説話物語が伝えてきた、
死と生が持つ意味や、どう生きるべきか。
死してなお命には続きがあることを
現代の感性で真正面から描ききった本作は、
本当に素晴らしい作品」と高く評価した上で、
コロナ禍で夏祭りや盆踊りが中止になり、葬儀も制限を受けるなど、
まともに死者を供養できない状況の中、
『死者を想う気持ちが、社会現象にまで発展した
「鬼滅の刃」の大ブームに結びついたのではないか』と指摘します。


基本的に自分のことしか見えていない鬼は、
自分だけしかないゆえに、死んでしまえば何も残りませんが、
自分以外のために行動できる人間は、
“私”だけでなく“私たち”になれる人間は、
他人への思いやりが巡り巡って自分にも返ってきたりして、
たとえ自分がいなくなってもなお、想いは残っていく……

コロナ禍が続く今、そして東日本大震災から10年を迎える今、
「鬼滅の刃」のような作品が大ヒットすることに、
崇高な意義を見出したい私でした。

(*2)北九州市小倉生まれ。小倉に本部がある冠婚葬祭業の株式会社サンレー代表取締役社長。
本名は佐久間庸和[さくまつねかず]。全国冠婚葬祭互助会連盟(全互連)前会長。
一般社団法人全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)副会長。
上智大学グリーフケア研究所客員教授。九州国際大学客員教授。

【シャレにならなかった森発言】

東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が、
「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」などと発言し、
当然ながら国内外から批判・非難が巻き起こっています。

個人的には、ビートたけしさんのコメントが印象に残っています。
――「女も男も間抜けがしゃべると長くなる」って言えば、
それまでのことじゃない。女だけに限定するからいけないんだ。――
(2/6 TBS系『新・情報7daysニュースキャスター』)
たけしさん独特の言い回しではありますけど、
性の違いではなく個人の問題という点は、私も賛成です。

さらに、2/5 テレビ東京系『ワールドビジネスサテライト』で、
大江麻理子キャスターが語ったことも心に響きました。
――傍観しているだけだと容認するのと同じ結果を生む。~
重要な役職に就いている人がエラーを起こした場合、
その組織がちゃんと処分を下す。
それができていないのが日本なのだと、今回分かった気がする。~
性別だけでなく国籍、人種、職業、学歴というような
カテゴリーでまとめて語ると決めつけになってしまう。
差別や偏見を生み出すことにつながりかねないので、
そういうことは無意味だからやめようというのが今の社会だと思う。――

私自身は、もちろん世界的なコロナの状況によりますが、
できることなら自国五輪を見たいし、応援したいと思っています。
ただ今回の森会長の発言が、その後の種々の対応も含め、
ひどく水を差してしまっているのはとても残念です。

カレンダー

【中止だと祝日はどうなる?】

ずいぶん前置きが長くなりましたが、ここからが本題(^^;
今年は、延期された東京オリンピック・パラリンピック開催に伴い、
昨年同様、特別に祝日も移動しています。

「海の日」が東京オリンピックの開会式前日に当たる7月22日(木)に、
「スポーツの日」が開会式当日の7月23日(金)に、
「山の日」が閉会式当日の8月8日(日)に移動します。
さらに8月8日は日曜日のため、翌8月9日が振替休日となります。
そして、例年の海の日(7月第3月曜日)、スポーツの日(10月第2月曜日)、
山の日(8月11日)はそれぞれ平日になります。

気になるのは、オリンピックが再延期あるいは中止になった場合どうなるか。
1/5付日経電子版に、内閣府大臣官房総務課のコメントが載っています。
――20年3月に東京五輪延期が決まった際にも祝日を元に戻すことが検討されたが、
直前の変更は国民生活に大きな影響を与えるとの観点から、結局見送られた――
記事では、この前例が踏襲される可能性は高いだろう、としています。

注意したいのは、今年の祝日が前述のように“オリンピック仕様”になることが
臨時国会で決まったのが、昨年の11月も終わりになって。
そのため、印刷が間に合わず、結果的に間違った祝日が表記された
カレンダーが出回っています。
ちなみに、私の手元にある2つのカレンダーはどちらも
正しい祝日になっていませんでした。
うっかりスケジュールを立てたりしないよう気をつけましょう。

【一番大事なポイントを一言で】

みなさん、「黙食(もくしょく)」をご存知でしょうか?
福岡県に緊急事態宣言が発令された1/13以降、
福岡市のカレー屋さん「マサラキッチン」の店主、三辻忍さんが提唱し、
全国的に広がりを見せている“お願い”です。

1/28付讀賣新聞オンラインによれば、
きっかけは、同業者や知人からの「食事する時、大声で話す客が気になる」
「角を立てずに客に注意するのが難しい」といった声でした。

これまでも、店内に飛沫防止の間仕切りを設置し、
「ノーマスクでの会話はお控えください」と書かれたポスターを掲示してきましたが、
「より短い言葉を使い、わかりやすいポスターが必要だ」と考えたそうです。

静かに食べる「静食」という言葉も候補でしたが、
より感染防止の目的に沿うよう「黙」を採用。
「強い言葉なので、伝わり方次第で反感を持たれる恐れがある」という迷いもありましたが、
「お客さんと従業員を守るためだ」と決断しました。

「黙食」のデザインは、前職がデザイナーだった三辻さん自身によるもの。
1/15にツイッターで発信したところ、「店に貼りたい」
「こうした店が多くなると良い」といった好意的なコメントが寄せられ、
10日ほどでリツイートは5万件超、「いいね」も約8万件つきました。

記事では、久留米市の温泉施設「久留米 游心の湯」で、
三辻さんのデザインをヒントに「黙浴」「黙蒸(もくむす)」を
呼びかけるポスターを作って掲示することなど、
全国で「黙食」が広がっている事例が紹介されていました。

黙食

【誰が言うかで受けとめが大違い】

飛沫が主な感染要因とわかってきて、それを防ぐのが目的であるなら、
「会食を控えて」とか「会話をする時はマスクをして」とか言うより、
「黙食」のほうがはるかにわかりやすくて効果的な感じがします。

飲食店に行くのが悪いのではなく、
そこでやる行動(マスクをせずに話し合う)が危険ということに、
しっかりフォーカスしたアピールにもなっていると思います。

言おうとしている目的は同じでも、
言い方一つで伝わり方が全然違うのはよくある話。
言葉の使い方って大事ですね。

さらには、言っているのが誰か、というのも大きいでしょう。
コロナ禍で苦しんでいる飲食店の方が、「大変心苦しいのですが」と
お願いしているからこそ、肯定的に受けとめられている面もあるでしょう。

もし今回の「黙食」を、仮に今の政府が言い出していたとしたら、
「ふざけるな」とか「上から目線で偉そうに」と反発する人が多かったかもしれません。
以前にも触れた、「信頼」の有無がここでも響きそうです。
なんてったって、「自由飲酒党」とチャカされるぐらいですから……
あ、これも流行語大賞候補に……ならないでしょうね。